2010年05月11日

アンオフィシャル信者。

許されるって大切だなぁと、最近ふっと思ったのですよ。

怒りとか悲しみとかやるせなさとか、ネガティブな感情が発生したとき、ベクトルが内に向かう人と外に向かう人と2パターンありますね。私は内に、つまり自分を責めるタイプの人間なのですね。
そうしますと、ちょっと鬱々としてドンドン自分の魂が縮こまってしまうのです。これはイカンなと。

そこでポジティヴなニンゲンの考え方を真似ようと、(ハリウッド映画的な)アメリカ人は何故失敗してもメゲナイのかについて考えまして。

そこで思いついたのが神様の存在ではないかしらと。

映画『パッション』、私は血みどろが怖くて観ていないのですが、2時間イエス・キリストが鞭打ち拷問されるシーンで構成されているそうで。

キリスト教の教えでは、神の子イエス様は全てのニンゲンの罪を背負い十字架にかけられた、イエス様の貴い行いによって、罪深いニンゲンである私たちはすでに許されているのだ、ゆえにイエス様に感謝し祈りをささげましょう、と説いていますね。

キリスト教の信者の方は罪を犯した際、牧師様に告白をすることで許されます。

罪や過ちを犯しても、告解で許される。心を軽くし、また足取り軽やかに生きていける。

ところ変わって日本やアジアの教えは「因果応報」。
今生の罪は来世で償わなければならない、
今の苦しみは前世の行いの報いである、と。

苦しみの原因を自身に(過去世や家族の因縁だったり)帰着させる考え方って、苦しいなぁと私は思います。


宗教は、少しでも生き易くなるためにニンゲンが生み出した“考え方”だと私は思っています。そこで、洗礼を受けていないのでオフィシャルではないけれど、非公式に私はキリスト教の教えを今後の人生に採用します。

今後、私が自分自身のことを
「私はダメで無価値で罪深い生き物だ。死んだほうが良いのだ。」
と思った時は、鞭打たれたイエス様を思い浮かべます。私の身代わりに血を流してくれた方がいるのだ、それによって全ての罪が許されたのだ、だから、私はもう自分を責める必要はないのだ、私は許されている、と、そう、言い聞かせるようにします。
posted by onb at 21:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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